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第三区祇園 紹介文
 

 

詳細は明らかでないが、第三区祇園祭は青年有志らによって昭和初期に始められた様である。

現在使用している山車は昭和49年に建造されたもので、多少の修復を経て現在も活躍している。

山車の運行方法も独特で、巡行しながらの進行方向の調整も可能となっており、方向転換のたびたびに停止する事もなく大変に美しい大蛇山巡行の方法が確立されている。

昭和57年からは、大蛇本体の自主製作を始め、伝統を受け継ぎながらもより迫力のある大蛇山になるようにと年々進化を遂げている。

平成3年からは黄金に輝く大蛇を節目ごとに製作しており、平成23年の祇園祭で5回目となる第三区祇園の黄金大蛇は、祭りを楽しむ人々の間でも注目が高まっている。

これは、第三区祇園は伝統を保護・保存する立場ではなく、現在も継承・継続・変化の中にある長い伝統をまさに受け継いでいる段階であり、次世代へ繋がる生きた伝統の流れのなかに存在している故である。

伝統の継承としては、平成7年から子供大蛇の製作を始めており、この子供大蛇の製作の主体は、高校生や中学生をはじめとする子供達である。

大人は参考程度のアドバイスでしか関与しておらず、子供達の自主性が最大限に尊重され、大きな大蛇とはまた違った形の子供大蛇が年々製作され、技術の継承・生きた伝統が伝えられている。

昭和36年に始まったおおむた夏祭りにおいて、昭和46年からはその会場の中心地が大正町通りとなり、その大正町通りに面して所在する第三区祇園は図らずも大蛇山を代表する立場となる可能性の自覚の上、日本また世界各地から集まる祭りの見学者にも失礼のない様、態度・礼儀・モラルといった精神性が高められている。

その事自体は大蛇山運行の統制や第三区祇園関係者、また子供達の礼儀正しさなどを見れば明らかであろう。

祇園祭を通しての人間関係や祇園祭を通しての教育は多分に社会に対しての貢献になっていると考えている。

これからも、第三区祇園祭は今後とも長い歴史の中に存在し続け、今日のこの1ページもその中に埋もれてしまう事であろう。

我々、個人の名前も長い将来の中に忘却されてしまうであろうが、我々の子々孫々がまた、伝統の流れの中で試行錯誤し、それでも第三区祇園祭が今後とも永遠につながっていかん事を期待し、我々は我々の活動を今後とも続けていくだけである。

平成23年7月 溝田智司 拝

 

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